日本の塗料工業の発展 ペリー来航がきっかけとなった洋式ペイント
2021/07/06
ペリー来航がきっかけとなった洋式ペイント
日本の塗料工業の発展
日本における洋式ペイントの使用は、1854年(安政元年)、ペリー来日の折に洋館が建築され、そこで用いられたのが最初です。
日本では塗り物は漆や柿渋と言う時代でした。
その後、1860年頃、主として英国よりペイントを輸入し、船舶・鉄橋・汽車・建築等の新しい需要に対応していました。
1873年(明治7年)になって、茂木重次郎が亜鉛華とともに、日本で初めてペイントの製造を開始し、最初の塗料会社を設立しました。
また、1884年には、堀田瑞松の「錆止塗料及び其塗法」が記念すべき特許第1号として認定されています。
第一次世界大戦後になると米国で硝化綿ラッカーが作られました。
速乾性の光沢塗料としてフォード社の自動車塗装にも用いられ、日本にも輸入されるようになりました。
昭和初期にはフェノール樹脂、フタル酸樹脂が開発され、合成樹脂塗料のさきがけになりました。
第二次世界大戦中は飛行機用、船底用塗料の研究が中心で大きな進展はありませんでした。
戦後に入って1948年には日本塗料工業会が設立されました。
51年頃にはメラミン樹脂、ビニル樹脂、エポキシ樹脂、ポリエステル樹脂、塩化ビニル・酢酸ビニル樹脂などが開発され、本格的な合成樹脂塗料の時代に入りました。
また昭和30年代(5年)以降は、高度成長の波に乗って塗料の生産量も大幅に増加するようになり、塗料の品質も各分野の要請に応じ高いものになりました。
1973年、8年には2回の石油ショックがあり、また30年代初めからのバブル崩壊で塗料業界も厳しい試練を受けましたが、近年は発展著しい中国、東南アジアを中心に海外展開するなど目覚しい変化をしながら成長を続けています。
塗料産業は国内では成熟産業と言えますが世界的にはまだまだ伸びる成長産業です。
ポイント
- 1873年 日本初の塗料会社が設立
- 第一次大戦後は硝化綿ラッカーが脚光
- 第二次大戦後は合成樹脂塗料の時代